地獄は一定住みかぞし

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石和鷹。戦中・戦後活躍した真宗のお坊さん「暁烏敏」の伝記。暁烏敏の講話はカリスマ的な人気があったらしい。坊さんの話かと思いきや、暁烏敏が浮気をし、世間に公表されても全く動じないという内容が延々続く。浮気相手との手紙の抜粋など。

枯木灘 中上健二

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中上健二。「戦後生まれ初の芥川賞作家」とある。戦後と言われても、もう大方ピンとこないだろう。

自分の家族や出自が題材。山口瞳「血族」など、こうしたテーマは古今東西、人間が惹きつけられ、繰り返し語られるテーマなんだろう。ロビン・ダンバーが、人間が動物と違うのは、「宗教と物語だ」と言っていたが、古来から人間誰しも、自らがどこから来たのか興味があるのだろう。

枯木灘は、物語のなかで現在進行形で起きている家族の日常と、実父が語る先祖の物語がクロスする。文中に、この二つの物語が描かれているのが面白いんだろうか。

文中出て来る「路地」は被差別部落のことだという。

自由と秩序 – 猪木武徳

図書館にて

連続性について

戦後ドイツは、合意の政治という意味でワイマールとのつながりがある。企業経営の労使協議など。

日本社会にも連続性がある。岸信介・鳩山一郎などの公職復帰。

シュレーダー政権のコソボ空爆参加。海外に軍隊派遣。

中公叢書

アメリカ文化外交と日本 冷戦期の文化と人の交流

図書館で見かけて読んでみた。

USIS(U.S. International Communication Agency)の日本での活動。

福岡に行ったとき、天神に「アメリカ文化センター」という看板をみかけた。それがUSISだということを本書で知った。

メモ

1940年8月米州通称文化関係調整局(45年3月に米州局)ロックフェラー局。

映画の検閲。ディズニーに中南米舞台の映画製作支援。ドイツ映画、ドイツ寄り放送局に圧力。

テレビ放送初期に、米国番組、たとえば「ファミリー・アルバム」を提供した。ほかに英語を学ぶ番組など。
米国事情を新聞社・放送局に素材・資料として提供。

湯川物語
反共映画などの製作資金支援。1953年-60年の間に5本。
東映1957年の「ジェット機出動 第101航空基地」の主演は高倉健。

1952年公開の「硫黄島の砂」は洋画興収2位。
1956年「機動部隊」
週刊朝日「戦争映画と大衆-「機動部隊をどう受けとったか」

フォークナーセミナー、シンフォニー・オブ・ジ・エア

ファミリー・オブ・マン、原子力平和利用(アイゼンハワーの国連演説”Atoms for Peace” 1953年12月)関連。1955年11月「原子力平和利用博覧会」開催。2年間で263万人動員。

藤田文子
東京大学出版会

エジソンと映画の時代

図書館で見つけ借りる(10月)

映画勃興期について詳細に記されている。

本書で勉強なったのは、初期映画は尺が短かったので、映画館主がそれを組み合わせ見せていたという点。観客が楽しめるかどうかは、映画館主のセンスにかかっていた。今風にいうと、キュレーション?

また、この当時から窃盗をしても金持ちは軽い刑、貧しい人は重い刑になるといった社会的テーマを扱う作品よりも、娯楽作品のほうが人気があったというのも面白かった。

調べてみるとYouTubeには映画初期の作品がたくさんアップロードされている。映像の勉強も文献だけでなく、気軽に昔の作品が観れるとなると、だいぶ変わりそう。

メモ

本書で紹介されている初期の映画やポスターなどの資料はYouTubeなどで見ることができる。たとえば、下は「大列車強盗(The Great Train Robbery)」。

ズープラキシスコープ(Zoopraxiscope):

写真家エドワード・マイブリッジ(Edweard MuybridgeEdweard Muybridge online archive)が発明。内側に写真を貼った筒を回してスリッドから覗くと動画のように見える装置。(たしか、六本木ミッドタウンのフジフィルムの写真博物館に同じような装置が1台置いてあったような。。)

マイブリッジはズプラキシスコープの発明でイラストレイテッド・ロンドン・ニュース(1889年5月25日土曜日)の表紙(リンク先はこの書に掲載されているのと同じもの)を飾る。1888年2月エジソンと会談。
参考:GIZMODEの記事。「雲の映画館」

キネトグラフ:撮影装置
キネトスコープ:映写装置

モンキーシャインズ(Monkeyshines):最初の映画と言われる。GE Reportsでその映像が見られる。

原題:Edison and the Age of Motion Pictures

著)チャールズ・マッサー(Charles Musser
訳)仁井田千絵・藤田純一

<盗作>の文学史

図書館で借りる。

盗作 の事例がたくさん掲載され、また盗作にまつわる資料もものすごい量が載っている。

「まァ一流文学は外国文学を”下敷き”にして二流文学は”盗む”というところだ」大藪春彦の盗作騒動に対する三島由紀夫のコメント(p.167)

この本の小見出しは、そのまま創造とはなにか?を考えるときの問題提起になっている。

とにかく面白かった。

 

 

オールバックの放送作家

iTunesのポッドキャストで、TBS JUNKの爆笑問題カウボーイ、アンタッチャブルシカゴマンゴ、フジテレビお台場寄席は、ずっと聞いている。iPhoneでDLできるし。寝る前とか。出張に行くとき飛行機の中とか。爆笑問題の『ひとづま枠』はサイコーにオモシロイ。

この本の筆者、高橋洋二氏は、JUNKの爆問とアンタッチャブル枠の両方の構成をやってる人と買ってからわかって、俄然読む気が増した。あの笑い声なのかとか。。

■ メモ

p.182 80年代以降見かけなくなったタイプ。「ちゃん付け」で肩をもんでくる人。30%は無意識に使っていた。
この時代から、練りに練ったVTRで勝負する番組が主流となっていく

p.183 テレビ表現が自立した。90年代は、テレビで育った人材が、テレビこそ一番優れた表現手段と確信して、番組を制作し始めた
この頃から、「テレビ的」というものが増えた。テレビ的じゃないというのはどういうことか?それは視聴者(の中の大多数)が理解できない、ちょっと深いに感じる、知らない人が出ている、といったものか

p.186 テレビ作り屋と笑い作り屋の分業。枠組みと中身の分業

p.199 「テレビ作りがうまい人たちが作るテレビ番組は本当によくできている」という事実が「テレビを熱心に見る人たち」だけに伝わっている。

p.200 ものすごく好きなテレビ番組を自分で選択して見ている人は、ものすごく好きなテレビ以外のことをテレビに求めることはしなくなる

p.201 テレビ以外のものを必要としなくなったテレビ ⇒ 映画の番組などが不要に

p.228 我々構成作家は、ここで太田がこうボケたらどうかという「ボケ案」も考える

p.243 はんにゃは55号で、オードリーはダイラケ。

(2009年)

著)高橋洋二

恨の国・韓国

思った以上に面白かった。とくに韓国の「ハン」と日本の「和」の対比。

述べられてることを咀嚼すると、韓国では理想を追求する感覚が強すぎるために、現実への悲嘆が大きく、理想への推進力が激情として湧き出る。日本の和はもっと現実妥協的。理想はあるが現実的な落としどころをつける。
つまり、日本は落としどころの状態が現実、韓国は常に理想を追い求めている状態が現実なんだろうか。
韓国=激するというイメージの理解に役立った。

「「何をすべきか」を問われた規律主義から「何でもできる」と言い聞かせる楽天主義への移行は、人間の欲望主義も無制限に容認し、「こうすればより幸せになれる」「こうすればより幸せになれる」「こうすれば、より利益を追求することができる」という成果主義の考えを無批判的に受け入れることになります。」(p.72)

「韓国社会で「世界化」や「無限競争社会」などという言葉が流行し、国の指導者でさえも「国のセールスマン」になることを自負していたのが1990年代初めの金泳三大統領の時のことでした」(p.72)

ハンプリ:「ハンプリを果たす」「ついに、やったね。ハンプリ」

ハンとは、「ひとつであると同時に全てである」

「韓国におけるハンが「理想追求型」の概念であるならば、日本における和というのは、極めて「現実追求型」の概念である」(p.19)

「完璧な結合体を追求し続けるがゆえに、現実の世界でそれが達成されないことを問題視し、批判し、嘆き、悲しみながらも・・・」(p.20)

「事大という言葉は単独で成立するのではなく、常に「慈小」つまり小さな国をどう扱うかという問題と表裏の関係にあります」(p.138)

「つまり、事大主義は棲み分けの戦略であり、秩序でもあったのです。」(p.144)

著)金慶珠
祥伝社新書

 

テロルと映画 スペクタクルとしての暴力

六本木青山ブックセンターの新刊コーナーで見つけて購入した。

かなり面白い。紹介されている映画が見たくなる。そういう本はいい本だ。

しかし、この本で紹介されている映画はhuluにもu-nextにもない。TSUTAYA DISCUSでレンタルがあったが、何回も見たかったので、レンタル落ちの安いDVDを購入することにした。

とりあえず、アマゾンで「パラダイス・ナウ」と、ヤフオクで「夜よ、こんにちは」を購入。

「自由と解放の神話を希求する者が、にもかかわらず不可視の物語の枠組みの内側にいるという恐るべき逆理を、ベロッキオはここで提示している。」

パラダイス・ナウは、ちょっと呆気なかった。

著)四方田犬彦