ワイマル共和国

なぜナチスが生まれたのか?知りたくて購入してみた。

1920年3月ドイツ労働者党は国民社会主義ドイツ労働者党(ナチス)と名前を改めた。

ナチスはあくまで大衆運動として発展した。

1924年ヒトラーの一揆裁判。

1924年12月選挙:ナチス議席数激減;ドーズ案、ドイツ復興に関してアメリカ人ドーズが提案

1925年2月大統領選挙:第1回投票、ナチス、ルーデンドルフ候補30万票。第2回投票、ヒンデンブルグ(1,465万票、帝制派の軍人)大統領に。

1925年10月ロカルノ条約。ドイツが国際舞台に復帰するきっかけ。(1926年9月に国際連盟に復帰。常任理事国)

1926年 シュトレーゼマン外相、ブリアン外相(仏)、チェンバレン、ドーズにノーベル平和賞。

1926年秋:ヒンデンブルグにゼークト罷免される。ゼークトを継いで、国防軍の実権はシュライヒャーに。

1924年-1928年まで:ドイツは経済復興とある程度の社会化に成功。高額所得者は戦前の半分に。しかし経済復興は流入するアメリカ資本で公共物を建築することで成し遂げられた。

1926年 国家人民党フーゲンブルグ(ナチス以前の大物右派)
ヤング案反対の国民署名集めに、ヒトラーも加えられる。知名度全国区に。600 万票

1928年-1929年冬:失業者増加(200万人)。米国資本が本国の好景気で流出。失業保険案は資本家の反対で頓挫。

1929年ミュラー社会民主党内閣終焉。ブリューニング内閣発足。これ以降議会内閣は終わりを告げ、「大統領内閣」時代に。議会から独立して内閣を選ぶ。政府が議会を顧慮することなく政治を進める。

財政改革に憲法のあらゆる解釈を利用した。大統領の緊急令を発布。議会解散。選挙中に緊急令を再度発布。

1929年10 月24 日ウォール街株暴落

1930年9月14日総選挙。ナチスが大躍進(12議席から107議席)、第3党に共産党(77議席)。本来右派の国家人民党が大幅減少(73議席から41議席へ)。極右派勢力はナチスに収斂。

ナチス飛躍の重要な戦術2つは、資本家を味方にする。国防軍を敵に回さない。ナチスは本来社会主義を標榜、資本主義を攻撃、下層中産階級を惹きつけてきた。

製鉄トラストのティッセンは早くからナチスに献金。フーゲンベルグとの提携以降、大口資本家との交流始まる。

突撃隊(SA)ヤジ将軍などの集まりだが、軍人に組織化。これに対抗するために親衛隊(SS)を作った。1929年5月、ミュンヘンで国防軍がナチスと協力することを熱烈に訴えた。

1930年国防相グレーナーは、ナチスが共産主義と同じく破壊的存在であると布告。

1930年10月14日新議会招集。ナチスは議会の運行不能を狙う。デモ隊、プロイセン突撃隊の制服を議会に持ち込み、不信任動議提出で混乱。議会を否定。

1930年末、失業者400万人。

1931年3月独墺関税同盟。フランスが資本引き上げ。
1931年6月米国大統領「フーバー・モラトリアム」1年間債務返却延期。
6月北ドイツ羊毛会社倒産、7月ダナト銀行営業停止。

1930年末からシュライヒャーとナチスが接近。グレーナーはナチスを嫌っていたが、シュライヒャーはナチスを懐柔し国防軍に組み込もうという野心を持っていた。

1931年夏以降、ヒトラーは資本家と頻繁に会談。両者を結びつけたのは、1930年4月ライヒスバンク総裁をやめたシャハト。
1932年3月 大統領選。ヒンデンブルグは84歳。再選不出馬であれば、ヒトラーが大統領になりそうだったので、ブリューニングが再出馬促す。ヒンデンブルグ1940万票。ヒトラー1340万票。

ヒトラーはこの選挙直前までドイツ国籍を持ってなかった。この時期から資本家から潤沢な献金。

1932年4月国防相グレーナーが大統領と首相に説いて、ナチス突撃隊、親衛隊を禁止する緊急令発布。
しかし、その2日後、ヒンデンブルグ大統領は、社会民主党の「国旗団」も解散すべしとの書簡をグレーナーに送る。(シュライヒャーの差し金)。グレーナーはシュライヒャーから国防相を辞職すべきと要求され、拒否したが、結局辞職。

1932年バーベン内閣。彼のあと、シュライヒャー内閣。シュライヒャーは自身の望みである軍制内閣を作ろうと、ヒトラーと結び、グレーナーなどを攻撃。しかし、その間にナチス増大化。

1932年7月ナチスが第1党(230議席)。第2党は共産党。

シュライヒャーを失脚させようと、バーベンはヒトラーに近づく。

1933年1月30日ヒンデンブルグ大統領がヒトラー首相を承認。副首相バーベン。

「ヒトラーの政権掌握はクーデターや暴動の結果でなく、大統領の任命という合法的手段によるものだったが、ワイマル共和国打倒を公言していた政治勢力が国政の枢軸を担うことになった」

国会の3分の2決議でヒトラーへ全権委任する授権法を成立

政党が国民的機能を果たさなかったとき、官僚と軍隊がこの共和国の最大の実力者となったのは当然であった。

ドイツ国民はビスマルク以来、官僚の支配に馴れており、みずから国家を形づくるという意識と慣行に欠けていた。

社会と人間の存立のためになにが重要なものを破壊するものが民主主義の制度を悪用して、その勢力を伸ばそうとするときには、あらゆる手段をもってそれと闘わねばならぬということを知らなかった。それがヒトラーを生んだ最大の要因である。(p.207、抄訳)

著)林健太郎

中公新書

同じ時代の日本について知りたくて「日本の歴史 24 ファシズムへの道(大内 力、中公文庫)」も読んでみた。