日本の歴史 24 ファシズムへの道

ワイマル共和国」について先月読んだが、それと同じ時代の日本の歴史を学ぶのにこの本を読んでみた。この本も長い間、本棚に眠っていた。

金解禁からの金融恐慌から満州事変、2.26事変、さらにエログロナンセンスにいたるまで多岐な領域が書かれているが、とても読みやすく、面白い。

ファシズムは国家独占資本主義であり、前時代の旧中産階級の厚みがあって出現する、そうだ。

著)大内 力

中公文庫

沈みゆく大国アメリカ

米国人の友達は、風邪になったらオレンジジュースを飲んで治す。ドラッグストアの棚にメラトニンが売っている。

国民皆保険でない米国の状況は少し知ってるけど、もうちょっと知りたくなって読んでみた。第一弾と、第二弾副題<逃げ切れ!日本の治療>の2冊。

オバマの選挙のとき、ヒラリー・クリントンが「病気の人が医者に行けない。そんな国になってしまったんですよ。この国は」って演説してたのを覚えてる。

でも、この本によると、そんなオバマケアが状況を悪化させているらしい。医師はペーパーワークに疲れ、中所得層は病気になっても病院に行けないまま。

儲かったのは保険会社だけという。

地域住民と会費制の診療ネットワークを立ち上げている医師もいるそうだ。

なんか日本医師会を持ち上げてるのが唐突感があった。

著)堤未果

集英社文庫

春宵十話

光文社文庫版が本棚にあったので読んでみた。

昔、一葉舟とか読んだことがある。

知性に制約のない自主性を与えたのはギリシャだけ。ゆえに科学が発達した。知性は理性と同一でなく、理想を含む。

理想は真善美であって、芥川龍之介はそれを「悠久なるものの影」と表現した。

このくにの善行は、少しも打算も入らない行為。物質主義とは違う。

いま大学に入ってくる男性は機械文明ばかり興味をもっている。

これからは機械にできないことを目指せと思う。

テレビ、雑誌、映画の影響が大きい。スポーツ、シネマ、セックスの3つのSがいけない。

学問は頭でなく情緒でする。副交感神経が優位なときは論文が捗る。

著)岡潔

1963年毎日新聞社刊

自由の牢獄 ミヒャエル・エンデ

「郊外の家」がとても印象的。中身がない家。地図からも消されてしまった。

フェルトモヒンク町エメラン通り。。。

「道しるべの伝説」名前を変えて生きる人。ヒエロニムスとインディカヴィア。

「ミスライムのカタコンベ」

どれも不思議な世界で印象に残る話。

ミヒャエル・エンデ

詩とことば

ことばの持つ力について書かれた。これはとてもいい本だ。

詩と散文の違い。

詩は、そのことばで表現した人が、たしかに存在する。でも散文はひとりも存在しないこともある。「白い屋根の家が」の順序で知覚した人が、どこにもいないこともある。(p.44)

しっかり「見る」人が少なくなったからではないか。眼を見開いてしっかり見る。それをおろそかにするとけものになる。(p.84)

詩が書き出される前のことを利用する。呼吸をそこからも、もらいうける。谷川雁について。(p.115)

著)荒川洋治
岩波現代文庫

思考する機械 コンピュータ

コンピュータとは、、「機能の抽象化」である。

「AND」と「OR」と「INVERT」

「すべてのコンピュータは、何ができるか、そして、何ができないかにおいて基本的に等価である」(序文)

「ビットとは、違いを表すための単位の最小のものである。「電気が流れている状態」と「電気が流れていない状態」ということになる。「ビット」では二つの種類を1と0で表すが、これは便宜上の表現であってこの二つは何と表現してもかまわない-「真」と「 偽」と表現しても(中略)自由である。」(思考の基本部品)

「コンピュータチップは、大量の「スイッチ」と「コネクタ」を提供できるテクノロジーであればどんなテクノロジーを使っても作成できる。」(思考の基本部品)

「コンピュータは、入力が少々不完全であっても、完全な出力を生み出せるテクノロジーにもとづいて実装(実現)されなければならない、ということである。そして、どの段階においても入力を規定の状態にまで増幅する機能を有することがデジタルテクノロジーの特色である」(思考の基本部品)

著)ダニエル・ヒリス
訳)倉橋彰
草思社文庫

The Pattern on the stone – the simple ideas that make computers work
W. Daniel HIllis

読む野球 No.4 昭和パ・リーグを読む

福本を、刺せ!

世界一の二番打者 大熊忠義

「翌年のキャンプで大熊が集中的に取り組んだのが、「右目で一塁走者の福本を見て、左目でピッチャーを見る」練習だった。右目に映る福本のスタートが悪いときには、左目でとらえたボールをファールにする。」(p.29)

全編インタビュー。何度も読み返せる雑誌って貴重だ。素晴らしい本。

No.3は野村克也特集だった。この「読む野球」シリーズは大好き。

主婦の友社

 

 

情報立国・日本の戦争

中国の防火長城。金盾(ジンドゥオン)

VPNも発見、遮断する。また個人の検索から政治傾向を推論する機能も持っていると言われる。

「電子戦とは「指向性エネルギー兵器」を使った戦争を指す。<中略>「指向性エネルギー兵器の中でも、最も危険とされているのが、核爆発電磁パルス兵器だ。これは高そう大気圏で核爆発を起こし、協力な電磁パルス(EMP)を発生させる。EMPを受けたケーブルやアンテナ類には高エネルギーの電流が生じ、それらに接続された電子機器などに過剰な電流が流れ、半導体や電子回路が損傷を受ける。」(137頁)

著)山崎文明

角川新書

原点が存在する 谷川雁

とにかくフレーズの宝庫な本。初めて読んだときは衝撃だった。学生運動盛んな60年代人には親しみある人だと思うが、自分は最近センパイに教えてもらうまで知らなかった。いま、こんな言葉を吐く人はいないから、誰もが衝撃受けると思う。

辺境の眼は疑う

「私は考える。戦争が終って1ダースの時がすぎた。この歳月の文化的意義とは何であるか?うまくいえないが、それは資本論をよみあぐむ牛飼の青年やシェイクスピアを愛する電話交換手などという存在がおびただしく生まれたことにあるだろう。」(86頁)

意識の海のものがたりへ

「<私>が上陸する前から、この島社会の求心運動すなわち統治の作用は翻訳能力の問題に帰していた。」

工作者の死体に萌えるもの

「東洋の無。。。それはゼロへ向かって収斂するエネルギーであり、その爆発的な反作用の力に民衆の異様な創造の力を見ない者はついにアジアの何たるかを知らないのである。」(116頁)

「表現の核心が無である。」

「連帯を求めて孤立を恐れず」

「瞬間の王」

著)谷川雁

ワイマル共和国

なぜナチスが生まれたのか?知りたくて購入してみた。

1920年3月ドイツ労働者党は国民社会主義ドイツ労働者党(ナチス)と名前を改めた。

ナチスはあくまで大衆運動として発展した。

1924年ヒトラーの一揆裁判。

1924年12月選挙:ナチス議席数激減;ドーズ案、ドイツ復興に関してアメリカ人ドーズが提案

1925年2月大統領選挙:第1回投票、ナチス、ルーデンドルフ候補30万票。第2回投票、ヒンデンブルグ(1,465万票、帝制派の軍人)大統領に。

1925年10月ロカルノ条約。ドイツが国際舞台に復帰するきっかけ。(1926年9月に国際連盟に復帰。常任理事国)

1926年 シュトレーゼマン外相、ブリアン外相(仏)、チェンバレン、ドーズにノーベル平和賞。

1926年秋:ヒンデンブルグにゼークト罷免される。ゼークトを継いで、国防軍の実権はシュライヒャーに。

1924年-1928年まで:ドイツは経済復興とある程度の社会化に成功。高額所得者は戦前の半分に。しかし経済復興は流入するアメリカ資本で公共物を建築することで成し遂げられた。

1926年 国家人民党フーゲンブルグ(ナチス以前の大物右派)
ヤング案反対の国民署名集めに、ヒトラーも加えられる。知名度全国区に。600 万票

1928年-1929年冬:失業者増加(200万人)。米国資本が本国の好景気で流出。失業保険案は資本家の反対で頓挫。

1929年ミュラー社会民主党内閣終焉。ブリューニング内閣発足。これ以降議会内閣は終わりを告げ、「大統領内閣」時代に。議会から独立して内閣を選ぶ。政府が議会を顧慮することなく政治を進める。

財政改革に憲法のあらゆる解釈を利用した。大統領の緊急令を発布。議会解散。選挙中に緊急令を再度発布。

1929年10 月24 日ウォール街株暴落

1930年9月14日総選挙。ナチスが大躍進(12議席から107議席)、第3党に共産党(77議席)。本来右派の国家人民党が大幅減少(73議席から41議席へ)。極右派勢力はナチスに収斂。

ナチス飛躍の重要な戦術2つは、資本家を味方にする。国防軍を敵に回さない。ナチスは本来社会主義を標榜、資本主義を攻撃、下層中産階級を惹きつけてきた。

製鉄トラストのティッセンは早くからナチスに献金。フーゲンベルグとの提携以降、大口資本家との交流始まる。

突撃隊(SA)ヤジ将軍などの集まりだが、軍人に組織化。これに対抗するために親衛隊(SS)を作った。1929年5月、ミュンヘンで国防軍がナチスと協力することを熱烈に訴えた。

1930年国防相グレーナーは、ナチスが共産主義と同じく破壊的存在であると布告。

1930年10月14日新議会招集。ナチスは議会の運行不能を狙う。デモ隊、プロイセン突撃隊の制服を議会に持ち込み、不信任動議提出で混乱。議会を否定。

1930年末、失業者400万人。

1931年3月独墺関税同盟。フランスが資本引き上げ。
1931年6月米国大統領「フーバー・モラトリアム」1年間債務返却延期。
6月北ドイツ羊毛会社倒産、7月ダナト銀行営業停止。

1930年末からシュライヒャーとナチスが接近。グレーナーはナチスを嫌っていたが、シュライヒャーはナチスを懐柔し国防軍に組み込もうという野心を持っていた。

1931年夏以降、ヒトラーは資本家と頻繁に会談。両者を結びつけたのは、1930年4月ライヒスバンク総裁をやめたシャハト。
1932年3月 大統領選。ヒンデンブルグは84歳。再選不出馬であれば、ヒトラーが大統領になりそうだったので、ブリューニングが再出馬促す。ヒンデンブルグ1940万票。ヒトラー1340万票。

ヒトラーはこの選挙直前までドイツ国籍を持ってなかった。この時期から資本家から潤沢な献金。

1932年4月国防相グレーナーが大統領と首相に説いて、ナチス突撃隊、親衛隊を禁止する緊急令発布。
しかし、その2日後、ヒンデンブルグ大統領は、社会民主党の「国旗団」も解散すべしとの書簡をグレーナーに送る。(シュライヒャーの差し金)。グレーナーはシュライヒャーから国防相を辞職すべきと要求され、拒否したが、結局辞職。

1932年バーベン内閣。彼のあと、シュライヒャー内閣。シュライヒャーは自身の望みである軍制内閣を作ろうと、ヒトラーと結び、グレーナーなどを攻撃。しかし、その間にナチス増大化。

1932年7月ナチスが第1党(230議席)。第2党は共産党。

シュライヒャーを失脚させようと、バーベンはヒトラーに近づく。

1933年1月30日ヒンデンブルグ大統領がヒトラー首相を承認。副首相バーベン。

「ヒトラーの政権掌握はクーデターや暴動の結果でなく、大統領の任命という合法的手段によるものだったが、ワイマル共和国打倒を公言していた政治勢力が国政の枢軸を担うことになった」

国会の3分の2決議でヒトラーへ全権委任する授権法を成立

政党が国民的機能を果たさなかったとき、官僚と軍隊がこの共和国の最大の実力者となったのは当然であった。

ドイツ国民はビスマルク以来、官僚の支配に馴れており、みずから国家を形づくるという意識と慣行に欠けていた。

社会と人間の存立のためになにが重要なものを破壊するものが民主主義の制度を悪用して、その勢力を伸ばそうとするときには、あらゆる手段をもってそれと闘わねばならぬということを知らなかった。それがヒトラーを生んだ最大の要因である。(p.207、抄訳)

著)林健太郎

中公新書

同じ時代の日本について知りたくて「日本の歴史 24 ファシズムへの道(大内 力、中公文庫)」も読んでみた。