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小説

自由の牢獄 ミヒャエル・エンデ

「郊外の家」がとても印象的。中身がない家。地図からも消されてしまった。

フェルトモヒンク町エメラン通り。。。

「道しるべの伝説」名前を変えて生きる人。ヒエロニムスとインディカヴィア。

「ミスライムのカタコンベ」

どれも不思議な世界で印象に残る話。

ミヒャエル・エンデ

白檀の刑(上)(下)

ノーベル文学賞受賞!
面白かった。けれど、史上最高に残虐だという白檀の刑の描写を楽しみに読み進めてたけれど、そこまでじゃなかった。最初にハードルあげすぎたのかも。
『蒼穹の昴』、『中間の虹』、『鄙巷に在り』などなど。日本人が描く中国噺のほうが構成が整っていて面白い気がした。のはナゼだろう。

莫言(著)
中公文庫

そこのみにて光輝く 佐藤泰志

佐藤泰志2冊目。

スグ友だちになったり、結婚したり、クルマ買ったり、文体は淡々としてるが、起きてることは決して平凡ではない。

この小説は地方都市の淡々とした日常を淡々と描くと評したくなるが、実は色んなことが起きている。

ただその出来事に漂う身の回り感が、

この小説の味なんだろう。

ながい旅(大岡昇平)

本棚に忘れられていた本。恐らく30年以上、棚に立てかけられたままだった。

大岡昇平のレイテ戦記を探していて、見つからず、偶々手に取った。当初読みづらいかなと思ったが、どんどんページが進む。

それは、公判のやりとりが会話体で続くせいだろう。セリフは作家が描く状況説明より読者を引き込ませるのかもしれない。

セリフといえば、フジテレビ「サワコの朝」で、倉本聰さんが「台本貰うと自分のセリフを数えて、自分の出番が少ないと言う人がタマにいて、困ったもんだ」ということを言っていた。

「セリフは表現の最後の手段なんですよ」つまり、話さなくても存在感というか、表現は成立する、ということなんだろう。

「サワコの朝」で倉本さんが「北の国から」のワンシーンを解説する。

餞別の封筒から一万円2枚が出てくる。そのお札に泥がこびりついている。なんで泥がついてるのか?その説明は映像のなかではされない。

番組のトークによると、倉本さんの子供時代の実体験だそうだ。自分が子供の頃、母親がお年玉を500円くれた。しかし、自分はそれを使えなかった。その500円に、貨幣価値以上のモノを感じたからだ。という。とてもジーンとする話だった。北の国からのシーンはその経験を基づいているのだという。

劇中で母が500円渡す。そのシーンで「ほら、これなにかに使いなさい」、「ほら、これ」、無言のまま。。

いろんな選択肢があるが、どんな違いがあるのだろう。無言の背景を受けてに想像させるのが一番訴え力が強い気がするけれど、そのシーンに至るストーリー性もまたよく描けてなければ、伝わらないだろう。

別な日の「サワコの朝」で糸井重里さんが、コピーを作るときに表現をどう削ぎ落とんですか?という問いに、「自分は削ぎ落としてるつもりはない。一気に言っている」と言っていた。

ワンセンテンスにいろんな背景を詰め込んだコピーは、さきほどの無言シーンのごとく、短いがゆえに人の想像力を刺激するのだろう。それは、まるでコンテンツが自らのメッセージの受けてを探すかのようだ。

この「ながい旅」も、作者の感情が削ぎ落とされた文章が続く。作家は膨大な資料の記録者に特化し淡々と話が進む。

それでも、この話に引き込まれるのは、米国絨毯爆撃の膨大な死者、敗戦間際の混乱具合などが、文章の背後に自然と想像できてしまうからであろうか。

膨大な記録を読むと群衆が自然と動く。よく人物が描けていると評することがあるが、主人公を上手く描こうとせずとも、圧倒的な混乱さの記録は、それだけで主人公や群衆が動きだす。

あっという間に読めた。

ながい旅  –  大岡昇平。自分が読んだのは、新潮社のハードカバー初版本。

ちなみに、「明日への遺言」というタイトルで映画化。主演が藤田まこと。トレーラーを見たけど、背の高いという岡田資中将のイメージと違った。。。