ハイビジョンの話 (メモ)

Deep in Blue

– カラーテレビ、ビデオが、映像ビジネスの2大インパクト
– 中継車出してそこから映像送れる
– 昭和40年代終わりから50年代にかけて
– それまでは、バイクでフィルム届けるか、電話で送るか
– ハイビジョンは、9月16日と11月25日の2つ記念日があった
– ハイビジョンは国が応援してくれる感じではなかった
– 通産省と郵政省と縦割りだった
– 実験放送、試験放送、本放送というステップ
– 美術館に300個くらいハイビジョンテレビを入れ、ソフトを制作した
– その映像はいまどこにあるかわからない
– 再生装置も10台くらいしかない
– 民放もついてきてくれなかった
– 地デジは、エコポイントなど国で応援している。昔と違う
– ハイビジョン(muse方式)、アナログ
– 制作方式としてはハイビジョンは残った
– あとは、デジタルにまぶされてしまった
– コンテンツの流通方法ではデジタルに負けてしまった。

(とあるテレビ業界の先輩)

– 80年代米国で次世代テレビの放送規格を決めることになった
– 日本製のmuse、ハイビジョン方式が提案されていた
– とある議員がデジタルでコンテンツを送れることに目をつけ、デジタル方式の提案がされた
– 帯域はハイビジョン8M、デジタルは6M⇒既存アナログ放送と同じ

ハイビジョンの話は地デジ移行の今につながる話。。知っておきたい・・・

参考 ⇒ アメリカ地デジの歴史

また、調べると色々ハイビジョンについてまとまった先行文献があります。


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